March 16, 2024

本が読めるようになるまでのリハビリ生活。

reading-rehabilitation

学生の頃から本はとても身近な存在で、友人の少ない私にとって、時には話し相手でもありました。本の世界からたくさんの知識を学び、この世の中に多様な生き方があることを私に教えてくれました。

今から何年か前に精神疾患を患い、会社を一年ほど休職した時期がありました。症状が一番酷かった時期から今のように普通の生活を送れるようになるまで二年弱かかりましたが、その間、本を読むことができませんでした。暇だなぁ、何か読みたいなぁと思って本を手に取ってみても、活字が全く頭に入ってこないのです。

その時の私にとっては、本屋に立ち入るのでさえ勇気が要りました。本棚にずらりと並んだ題名を見ていると頭が痛くなってきて、その情報量の多さに圧倒されてしまいます。たくさん並んだ本の一冊一冊が「私を手に取って」としきりに私に話かけてくるようで、本屋を一周しただけでものすごい疲労感に襲われました。

あんなに好きだった本が読めなくなったのは、とてもショックでした。今思い返してみると、文章を読むという行為は、想像以上に脳のエネルギーを使うのだと思います。「自分が思っている以上に今は疲れているんだ、そういう時期なんだ」そう自分に言い聞かせ、読書以外の楽しみを見つけてみよう、と前向きに捉えることにしました。

本と距離を置き始めてからしばらくして、久しぶりに活字に触れるきっかけとなったのは美容室でした。

若い女性のアシスタントの方が雑誌を何冊か用意してくれて、その置かれた雑誌がOLのファッション雑誌や若い俳優が表紙を飾っているような雑誌だったので、自分はこういうのを読みそうと思われているんだろうか、と思ったり。パーマの待ち時間にパラパラとページを捲って、写真に添えられた文章はほぼ読み飛ばしていましたが、この時活字への抵抗感は前より減っていることに気づきました。

ある日幼馴染から暇だからどっか行こう、というLINEが来て、ドライブがてらスタバが併設されている蔦屋書店に行くことになりました。ブックカフェ形式のお店なので、買うほどではないけれど気になる本を何冊か手に取り、カフェの席で読み進めました。その時読んでいたのはライフスタイル系の自己啓発書だったと思います。優しい口語調で書かれた文章だったので読みやすく、するすると内容が頭に入っていきました。

今の自分でも読めそうな本を少しずつ手に取っていくうちに、ぽつりぽつりと、読める本の幅が広がっていきました。

病気になる前は、殺人事件を扱った推理小説や、ホラー小説、幻想文学といった少しダークな物語が好きでよく読んでいたのですが、久しぶりに自室の本棚から何冊か手に取ってみると、なんとなく身体が受け付けなくなっていました。好きだったものが読めなくなったことに少し戸惑いましたが、年を取って好みが変わったのだろう、と新しい自分がもう読まないであろう本は思い切って処分しました。

本が読めなくなってからどのくらい時間が経ったのか分かりませんが、ある日何気なく手に取った短編小説を読み終えることができ、試しに他の小説も手に取ってみると問題なく読めていることに気づきました。これも読めるかなぁと手に取ってみた海外の古典はやっぱり途中で断念。

病気の前よりも文章の好き嫌いがはっきり分かれるようになって、全く読めない作家もたくさんいますが、小説が読めるようになったのはとても大きな前進に感じました。物語の登場人物に思いを巡らせ、自分があたかもそこで生きているような、そんな小説の世界を以前のように体験できるようになったのが、何よりも嬉しかったです。

今では大方前と同じくらいにまで回復したかなぁとは感じていますが、まだまだ読みたくても読めない本がたくさんあり、私の本のリハビリ生活はまだ終わっていません。この読みたくても読めない本というのは、もしかしたら病気で読めなくなった本というより、私のそもそもの読解力の問題かもしれませんが。

本屋の文庫本コーナーにたくさん並べられた本の中から、今週は何を読もうかなぁと本を選ぶ何気ない日常が、今の自分にとってはとても幸せな時間です。