July 31, 2024

故郷の風 - 京都での借りぐらし -

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育ってきた環境 - その土地の風土や食べるもの、話す言葉、関わってきた人々というのは、自分が思っている以上に今の私を形作っているのだなぁと思う。

五月の中旬から七月上旬までの二ヶ月弱、京都にアパートを借りて、しばしの間一人暮らしをした。今まで旅行で日本各地を訪れたことはあったが、ホテルやゲストハウスに滞在することがほとんどだったので、こんな長期間に渡って知らない土地で一人で生活するというのは初めての試みだった。

憧れの京都での借りぐらし。海育ちの私にとって、四方が山で囲まれている京都の街並みは新鮮だった。

私が借りていたアパートがある松ヶ崎には、近くには高野川が流れ、時々川の方へ鹿が降りてきたりもしていた。周りには高い建物がなく、夕暮れ時になると辺り一面が真っ赤な空に覆われて、よく空を見上げながら、仕事終わりに近所を散歩していた。一乗寺の方まで歩いて行くと、叡電のワンマン列車が街を走っていて、その様子はどこか日本の懐かしさを感じさせた。

昨今の京都はオーバーツーリズムが問題となっているが、少し街の中心を離れると、観光客の姿はまだらになり、そこで生活する地元の人の姿がある。そして、外から訪れてくる人とそこで生活する人、その間に見えない境界がある。京都では他の都市では感じられない、独特なウチとソトの意識を強く感じた。

もっとも、東北人の私にとって、同じ日本にいながら話す言葉が違うというのは、生活する上で、こんなに自分をソトの人間だと意識させるように働くとは思わなかった。

これまで、生まれ育った宮城以外に、東京に暮らしたことがあったが、関東圏では言葉の違いをそんなに意識したことがなかった。

スーパーの店員さんとのやりとりや、バスや地下鉄で聞こえてくる日本語の言い回しやイントネーションが違い、自分はここの土地の人間ではない、という意識が知らないうちに芽生えてしまう。京都に来たばかりの頃は観光客気分で気にならなかったそんな違いも、時間が経つにつれて意識するようになり、少し疎外感を感じることもあった。

京都に滞在して一ヶ月くらいが経ったある日、東京から高校時代の友人が京都に遊びに来てくれた。自分と同じ言葉を話す友人と会って、少しほっとしたのを覚えている。

京都の梅雨から初夏にかけての時期は、思っていた以上に堪えた。アパートに風が全く入ってこなくて、常に湿気で部屋の空気がこもっていた。それに加えて、六月の中旬ごろから気温がどんどん上がり始めて、湿気と熱とで寝苦しい日々が続いた。

アパートの退去日の前々日、最後の週末に高熱を出してしまった。おそらく京都の夏の気候に身体がついていけなくなったのだと思う。

京都から仙台に帰る途中、金沢に立ち寄ったのだが、バスを降りた瞬間、京都のこもった熱から解放されたように感じた。日本海に面した港町で、初めて海のありがたさを感じた。そうか、私の故郷の夏には海風が流れていたんだなぁ。