September 06, 2023

自分は人に与えてばかりだと感じたら。

gift

与えられることは、それだけ貴女の心は豊かであること

まず第一に、与えることは、それができるだけあなたは豊かだということ

心にゆとりがない人は、人を気遣う余裕がないでしょう。贈り物は高ければ良いというものではないですが、それでもお金がない人は、人に贈り物をする経済的余裕はありません。

ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロムは、著書『愛するということ』の中で、 「愛は与えることであり、もらうことではない」 と述べています。(この本は何度も読み返していて、読む度に「愛するとは何か」について深く考えさせられます。)

与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現である。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分の持てる力と豊かさを実感する。(エーリッヒ・フロム『愛するということ』)

あなたが今与えることに疲れてしまったと感じていても、あなたが行ってきたことは決して消えることはありません。あなたが与えたことによって、助けられた人がいるのです。

なぜ「与えてばかり」と感じてしまうのか

与えることができることはそれだけで良いことだと頭では分かっていても、「私って与えてばかりじゃないか」と心にぽっかりと穴が空いたような気分になることがあります。

「与えてばかり」と感じるということは、自分が与えることに対して、無意識に人にその対価を求めているということです。

人に贈り物をする時、どんな気持ちでプレゼントを選びますか?

多くの人はその人が喜んだ顔が見たい、と思うのではないでしょうか。しかし、実際にプレゼントしてみて、その人の反応があまり良くなかった、ということもあるかもしれません。そういう時、少しがっかりしてしまいますよね。

でも、贈り物をしたのは、自分がやりたくてやったことです。相手の反応がイマイチでがっかりする気持ちは分かりますが、相手の感情はあなたがコントロールできるものではありません。

それよりも、あなたが贈り物をしたいと思ったその気持ちに目を向けてみましょう。相手が喜んでくれるかなぁ、元気になってくれるかなぁ、そう考えて品物を選ぶ時間そのものが幸せに満ち溢れていて、美しい時間だと思いませんか?

あなたがプレゼントを与えると同時に、その幸せな時間を相手から与えてもらっている。対価はそれだけで十分なのです。

どんなに与えられる立場にあっても、自分が幸せでなければ、人は幸せにできない

与えるのに疲れてしまったら、それは「もっと自分を大事にしていいんだよ」という心のサインかもしれません。人にエネルギーを使い過ぎて、自分を大事にできていないという心当たりはありませんか?

  • 困っている人がいると放って置けない
  • 話している相手がどんな言葉を欲しているか分かってしまい、ついその言葉をかけてしまう
  • 自分が今少し我慢をすれば、この場は丸くおさまる

つい人の心を察してしまう人は、自分が思っている以上に自分の気持ちを押し込んで、自己を犠牲にしてしまっていることが多いです。

「こうした方があの人は喜ぶ」、この優しさも大事ですが、「あなたの心はどうしたいのか」、あなたの心の声にもっと向き合ってあげることも同じくらい大事。

人は人、自分は自分。自分と他人との線引きをして、時には「何もしない」という選択肢を取ることも一つの方法です。

貴女は愛を受け取るのが少し下手なのかもしれない

もしくは、あなたは人から愛を受け取るのが少し下手なのかもしれません。本当は与えてもらっているのに、その優しさに気づけない、もしくは素直にその優しさを受け取れない、ということはありませんか?

何かしてもらったら、返さなくてはいけないと感じてしまう

人から何かをしてもらったら、返さなくてはいけないのでしょうか。

与えるということを通じて、相手が自分にどれだけエネルギーを使ってくれたか、自分が与えることを知っているからこそ、その恩を返してあげなければならないと感じてしまうのかもしれません。

でも一期一会の出逢いを思い浮かべてみてください。たまたま入ったお店で店員さんがとても丁寧に接客してくれた時、旅先で知り合った人が親身に話を聞いてくれた時。おそらく、もう二度と会うことはない人たち。彼らは何か欲しくて親切にしてくれたのでしょうか?

何かしてもらったからといって、必ずしもその人に返す必要はありません。もし返すものがあるとすれば、「ありがとう」その言葉が最高のお返しです。

受け取った恩は、あなたがまた与えられるくらい元気になった時、困っている人がいたら返してあげればいいのです。

身の回りの小さな愛に気づいていないだけかもしれない

この間部屋を掃除していたら、二つのチョコレートの空き箱を見つけました。

一つは東京で一人暮らしをしていた頃、妹が宅配便で送ってくれたチョコレート。

仕事に追われていた秋、誕生日の数日後に鳴ったインターホン。届いた箱を開けてみたら小さなチョコレートが入っていました。そういえば、妹が前に東京に遊びに来た時は、平日私が仕事で家を空けている間に家事をしてくれたりもしたなぁ。いつも妹は見えないところで、私を気遣ってくれていました。

もう一つは入院中、クリスマスプレゼントとして母が届けてくれたチョコレート。コロナで面会ができなかったので、看護師さんから母が持ってきた紙袋を受け取りました。チョコレートにはトナカイのポストカードが添えられていて、母の手書きの文字に久しぶりに触れました。

自分って本当に与えてばかりなのだろうか?人から与えてもらっているのに、その優しさにただ気づけていないだけなんじゃないか?

そう疑問に思って、今までの嬉しかった出来事を思い浮かべてみました。

最近コンビニでフラッペのドリンクのセットの仕方がわからなくて、とても丁寧に教えてくれた店員さん。お文具さん(Youtubeのアニメ)の企画展に行った友達がくれたお土産の文房具。昔付き合っていた恋人が作ってくれた料理。

日常には些細な優しさが溢れていて、ただそれがあまりにも自然で見過ごされてしまうから、自分がたくさんの愛を受け取っていることに気づけないでいるのかもしれませんね。


自分が与えてばかりだと感じたら。

あなたが誰かを幸せにしようと行ってきたことは、あなたの心が豊かだからできたこと。でも、与えることから一旦距離を置いて、今はもう少し自分を大事にしてあげましょう。